シニアからの学び

介護・主夫業・花作り, etc. シニアから学びの日々が再び

寒さと雪にも強いビオラ・パンジー そしてアランの生命への賛歌

今日、2月3日(金)は節分。そして、明日、2月4日が立春、春の始まりです。でも、天候は、まだまだ冬ですが、春の足音がもうすぐ聞えますね。

四季の最初が、立春立夏立秋立冬。この4つは「四立(しりゅう)」と呼ばれています。実は、この四立の前日が「節分」。節分って、本来は1年に4回あるみたいです。

 

長崎の離島でも、しばらく前は雪が降って、かなり積もりました。ビオラ、パンジーも雪で全部雪の下に。それを見ていた私、「おいおい大丈夫か?」。

そこで翌日、雪が止んだ後に、恐る恐る庭をソーと眺めたら、エッ、何事もなかったように、ビオラ、パンジーの花が咲いていました。

 

それにしても、不思議ですね、あんな雪の下になっても、ビオラ、パンジーは、花が枯れずに残っていました。

アランの「幸福論」の中に、生命のたくましさを書いた箇所がありますので、以下に紹介します。

『悲しい思いになってはならない。希望すべきだ。人にほんとうに与えうるのは、自分のもっている希望だけなのだ。自然を当てにし、未来を明るく考え、生命は必ず勝利すると信じなければならない。これは思っているよりもやさしいことだ。自然にかなっていることだから。生きているものはすべて、生命が必ず勝利すると信じている。さもなければ、すぐに死んでしまうであろう。』
(「アラン 幸福論」 神谷幹夫訳 ワイド版岩波文庫 ”58  憐れみについて”から)

 

「生きているものはすべて、生命が必ず勝利すると信じている。」いやー、本当に力強い言葉です。どんな寒さや雪にも負けず、堂々と咲いているビオラ、パンジーをみると、この言葉が浮かびました。何万年、何千年と生き続けている生物達は、過酷な環境の変化にも耐え、ひたすら生きようと様々な変化をしてきています。環境の変化に愚痴っていたら、多分、そこで、その生物は絶滅した可能性が強いですね。

 

生物と人間の違いについて、アランは以下のように言っています。

『職業柄、動物をたくさんみていた〔獣医だった〕父は、動物はわれわれと同じ状況下にありながら、同じように無理な行為に及んでいるものの、ほとんど病気にはならないと言い、驚嘆していた。それは動物は不機嫌になるというのがないからだ。つまりわれわれのように思考のはたらきによって、いらいらしたり、疲れたり、うんざりしてしまうということがないのだ。』

(「アラン 幸福論」 神谷幹夫訳 ワイド版岩波文庫 ”12  ほほ笑みたまえ”から)

困難な状況の中になると人は思考や気分に負けてしまい、精神的・肉体的な病気になりがちです。それは、人は思考の働きで、その状況を心配したり、悔やんだりするから、困難な状況を更に悪化させ、病気になるとアランは言っています。思考自体が悪いのでは無く、心配・反省・愚痴などの後ろ向きの思考がそうしています。後ろ向きの思考は、過去や未来を考えすぎるから出るかもしれません。

而今(じこん)」という禅語があります。「而今」は「只今を生きる」ということです。過去や未来のことばかりに振り回されて、今を生きることを忘れがちです。「今を生きる」ことこそ、未来にもつながる生き方ですね。寒さにも雪にも負けない花をみてつくづくそう感じます。

 

写真1は、だんだんコンモリしてきたビオラ、これから大きくなります。

写真2は、大好きな黄色のビオラ、元気がでます。

写真3は雪の被害がチョッピリあるビオラ、それでも元気。