シニアからの学び

介護・主夫業・花作り, etc. シニアから学びの日々が再び

認知症介護では、周りの人達との信頼関係が大事

認知症介護をしていると、余裕が無くなり、ついつい、物事を悲観的に考え、悪いようにとらえがちになりました。

そして、認知症介護の辛さをなかなか理解してもらえないことで、家族や兄弟、ケアマネジャーなどの不信感も強くなっていきました。まあ、もともと、私は人間に対する不信感は強かったので、これが認知症介護で強化されました。

なお、認知症介護の「苦しさ」は理解してもらえても、「辛さ」は理解してもらえないと考えています。

被害妄想や暴言を聞くのがどれほど辛いかは、経験して初めて分かると思います。言葉ではとても説明できません。私が妹達に電話で、認知症の母の状況を何度説明しても、「苦しさ」は理解してもらいましたが、「辛さ」は無理でした。

まあ、こんな事もあり、私の人に対する不信感は強化されたと思います。

でも、いくら頑張っても、認知症介護は1人ではできません。周りの人達の協力無しでは、介護をスムーズに進むことはできません。

特に、介護に対する様々なアドバイスをもらえるケアマネージャとの信頼関係は大事です。

私は、ケアマネージャーから精神科診断をするよう勧められ、信頼のおける精神科の先生も教えてもらい助かりました。

また、定期的に通院する精神科の先生とも信頼関係も大事ですね。

認知症の母の自宅での状況を先生に報告することで、薬を調整してもらい、薬の副作用、介護時の注意点も毎回教えてもらいました。自宅介護を長く続けられたのも、精神科の先生のお陰でした。

更に、ディサービスやディケアの皆さんからは母の状況を教えてもらい助かりました。

また、グループホームのような施設に入っても、職員の皆さんとの信頼関係、連携プレーは大事です。施設の状況が分からないぶん、不安になりがちですが、やはり、介護のプロ、大きな問題がない限り、信頼し、率直に意見交換したら良いと思います。

普通の生活でも人との信頼関係は大事ですが、特に、認知症の介護では、様々な人達とのつながりがあり、この人達との信頼関係は、円滑な介護をするための基本だと思います。

なお、人に対する不信感は、放っておくと、だんだん強くなります。そして、気分もブルーになり、落ち込んでいきます。そして、人が何を言っても悪い方向に考えるようになります。体にも悪いですね。

アランの「幸福論」の中に次の言葉があります。

悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである。」

気分に負けると悲観主義になり、物事の良い面を見ようとすれば、楽観主義になるという意味だと考えています。

人間って不思議なことに、悪いことは自動的に強調され、意識しないと良いことはあまり見えません。何故なんだろう、不思議です・・・

介護しながら、気分に負け、悲観的になると、本当に憂鬱になります。なんで自分がこんな目に、誰も理解してくれない、あの人はダメだ・・・これでは、何も解決しませんでした。

そして、無駄な時間ばかりが過ぎていきます。

もし、人を信頼し、人の言ったことを素直に受け止めると、前向きに考えることができ、行動もしやすくなります。できるだけ、人に対する先入観を捨て、憶測をはさまず、そのまま受け取る姿勢が大事かもしれません。

鎌倉時代の高僧である良寛和尚の戒めの言葉に、

『「俺がおれが」の「我」を捨てて、「お陰おかげ」の「下」に生きよ』

という言葉があります。人に対する信頼感は、この「お陰」の感謝の気持ちが必要かもしれません。

なお、人との信頼関係が大事と言っても、人の言った言葉をうのみにするのではなく、一般論として受け入れ、自分で具体的に確認することが大事ですね。

特に、認知症の場合、一人一人、症状や認知症の進行が違い、一般論は当てはまる場合が少ないです。認知症の薬の種類や量も、かなり人により差があります。よく使われる“アリセプト”という認知症の薬は、母には微量でも被害妄想や暴言が発生しました。

そのため、認知症の薬については、私自身でも、薬の種類や量、副作用を事前に理解した上で、精神科の先生から、薬を紹介してもらい、私の方から母の状況を説明し、薬の種類と量を、相談しながら決めました。

また、グループホームについては、ケアマネジャーからいくつか紹介してもらい、実際に見学したうえで、自分が納得した施設を選びました。

人の言ったことをうのみにするのではなく、自分でも考えた上で、どうしたら最適か、一緒に考える姿勢も大事だと思います。