シニアからの学び

介護・主夫業・花作り, etc. シニアから学びの日々が再び

思い通りにならないのが世の常 一喜一憂せず前に進む

思い通りにならないこと、多いですよね。私は、家事(主夫)、園芸、いずれも超初心者、なかなか思うようにいきません。それに加え、介護、人間関係も、当然ながら、いろいろあり、難しいです。

実は、以前、仏教で言う「苦しみ」とは、「思い通りにならないこと」を意味すると知って、なるほど!と思いました。私は気が小さい人間なので、思い通りにならないことや、予期せぬことが起こると、過剰に心配しオタオタします。

認知症の母を介護しているときもそうでした。母が洗濯機の操作をできなくなったとき、泥棒が入ったと大騒ぎしたとき、なんとか対応しましたが、心の中はオロオロ、どうなるのだろうと心配が加速。その話を精神科の先生にしたら、先生は平然として、「まあ、一喜一憂せず、長い目で見て下さい」という言葉。さずがですね。一喜一憂することはダメだと思っていましたが、改めて、先生から言われるとグサッと心にささりました、

 

何が思わぬ事が起きても一喜一憂したら疲れるばかり

介護、家事、園芸、なんでもそうですが、思わぬ事が起きて、それに惑われ、一喜一憂すると、気持ちがどんどん落ち込んでいきます。そして、アレコレ心配したり、余計なことを考えたり、いいことは一つもないですね。それより、なんとか前に進むと、不思議なもので、解決の糸口が見つかります。

 

一喜一憂せず前に進むと思わず解決することも

最近、母がグループホームを退所せざるをえなくなりました。どうなることかとまたしても心配の嵐。それでも、なんとか、いくつかのグループに電話をかけましたが、やはり、なかなか空きがない。もう途方にくれながら、更に電話をかけていったら、あるグループホームが事情を理解してくれ、なんとか近いうちに入所できるようにしましょうと言ってくれました。

 

諦めずに前に進むと「拾(ひろ)う神あり」

「捨(すてる)神かみあれば拾(ひろう)神かみあり」という諺がありますね。見捨てられることがあっても、一方で助けてくれる人もいる。不運なことや困ったことがあっても、悲観することはないという諺ですね。

何か不運なことがあったとき、もうダメかと意気消沈し、行動をしないと「拾う神」は現れないですね。諦めずに前に進むと、少しずつ光が見えてくる気がします。まあ、全て、「拾(ひろ)う神」が現れるかというと、そんなに甘くはないですが、進むことで、新しい発見があり、いろんなことが学べます。

 

不運はやり方を変えよう!というシグナルかも

母のグループホームの退所は確かに不運でした。でも、新しいグループホームは、以前より、職員の皆さんのサポートがとても細やかで親切。探すのに苦労したグループホームでしたが、母にとっては良い変化だったかもしれません。

園芸も同じでした。豪雨、猛暑で花が少なくなり、庭が寂しくなりました。この時、種から花を育ててみたらどうなるのだろうと考え、キバナコスモスやコスモスの種を植えたら、賑やかに咲きました。

 

「我、事において後悔せず」(宮本武蔵

これは、剣豪として知られる宮本武蔵の名言です。これは、様々な捉え方があると思いますが、私は、以下の2つの意味があると考えています。
①自分の為したことについて、何も後悔することはない。
②自分の回りで起こったことはすべて事実であり、後悔しても仕方ない。
 (一喜一憂しない)

なにかあるごとに、いつも励まされる言葉です。でも、なかなか、この言葉のようにはなれないですね。なお、後悔や心配は、どんどん拡大する傾向があります。後悔や心配が浮かんでも、これを拡大することだけは止めないといけないですね。

 

禅語 「八風吹不動(はっぷうふけどもどうぜず)」

良い風、悪い風、どんな風にさらされたとしても受け流し、今まで通りの自分に戻りなさい。といった禅語です。嬉しかったらと嬉しいと感じ、悲しければ悲しいと感じればいい、大事なのは、その感じている感覚を引きずらないことという意味です。

なお、「八つの風」とは、人の心を揺さぶりやすい8つの事柄のこと ①利益 ②誉れ(ほまれ) ③称賛 ④享楽 ⑤衰え ⑥批判 ⑦譏(そしり) ⑧苦しみ です。良い風、悪い風、これに動揺し続けると、良いことはありませんね。心も体も痛みます。

悪いことがあっても、良いことがあっても、それをズルズルと引きずると、落ち込んだり、有頂天になったりと、自分を失い、調子が狂います。様々なことに一喜一憂するけれど、それに引きずられず、いつもの自分に、できるだけ早く戻るのがいいですね。そうすることで、心身の健康が保たれる気がします。