シニアからの学び

介護・主夫業・花作り, etc. シニアから学びの日々が再び

認知症の世界は、日常とは違う別世界

認知症になると母の行動はかなり遅くなりました。今まで手際よくやっていた食事の片付けは2倍の時間がかかるようになりました。最初はイライラしていた私でしたが、あきらめざるを得ませんでした。

行動にも一貫性が無く、寝る前には電灯は消灯してねと言っていたのに、次の日には、小さな電気(常夜灯)にしてねと言いました。

何かを失敗したとき、普通は怒られても謝るのに、母を怒ると、被害妄想や暴言が始まり、それ以来、私は、母がどんな行動しても怒ることができなくなりました(実際には我慢できず怒ることもたびたび)。

認知症の母を介護して気づいたのは、認知症の世界は、これまでの考え方や価値観が通用しない世界であるということでした。

①効率は求めない(時間がかかっても良い)
②そのときの気分で行動が変わる(自由気ままに行動する。
③失敗は当たり前
④同じことを何度聞いても良い

なお、認知症の世界が、ふだんの私たちの世界と違う原因は、認知症の代表的な中核症状から来ると思います。

認知症の中核症状]

①記憶障害・・・・数分前のことを忘れてしまう
見当識障害・・・時間や場所、人が分からない
③実行機能障害・・ものごとの手順が分からない(料理、片づけ、衣類の管理などができない)

以下に、自宅介護の経験から、私が感じた認知症の世界をまとめてみました。

認知症の世界]

①失敗を許す世界(失敗をOKにする世界)
②時間をかける世界(非効率な世界)
③一貫性の無い世界(規則性が無い世界)
④是非を問わない世界(言動を否定・非難しない世界)

なお、下記の本では、認知症の世界を「虚構の世界」と名付け、この世界が認容できるようになれば、認知症の人も、それを介護する人も、もっと心安らかに生きていけるはずだと言っています。認知症の母を介護してきて、この意味が分かるようになりました。

 「認知症とは何か (岩波新書)」 作者:小澤 勲 出版社/メーカー: 岩波書店

 『なんと言ってもこの世は、できる人、金を稼げる人、常識や規範に沿って生きている人だけが尊重される世界である。
(中略)
もし、この世が、その片隅にであっても、世の価値観から離脱した「虚構の世界」をそっと認容できるようになれば、認知症を病む人たちも、彼らとともに生きている人たちも、もっと心安らかに生きていけるはずである。」(上記の「認知症とは何か」P193~194の引用)

 
■①失敗を許す世界(失敗をOKにする世界)

今まで私が生きてきた世界では、失敗すると「なんで、こんなことをするの!」と怒られます。また、今までできたことができないと「この前はできたのに、なんでできないの!」叱られます。

今まで私が生活していた世界は、失敗は悪であり、許されないものでした。

しかし、認知症になると、記憶が無くなるので、よく失敗します。私の母の場合は、財布の保管場所を自分で変えて「財布が無くなった」と騒いだり、冬なのに夏のパジャマを着たり、家電製品の操作を間違えたりします。

 認知症の人の失敗は、中核症状の記憶障害、見当識障害、実行機能障害によるもので、悪意のあるものではなく、起こるべきして起こった、避けられないものです。そのため、認知症の人が失敗しても、許してあげたいものになります。

■②時間をかける世界(非効率な世界)

今まで私が生きてきた世界では、何事も効率よくやることが当然で、時間をかけるとよく怒られます。

しかし、認知症になると、一つ一つの作業に時間がかかるようになります。私の母は、食事の後片付けなどに、それまでの2倍以上の時間がかかるようになりました。夕食の後片付けには1時間以上もかかってます(母には認知症の進行を抑えるため、できる家事は任せました)。

認知症の母の行動を急がせると混乱し、被害妄想が発生し、時には暴言を吐くことがあります。

■③一貫性の無い世界(規則性が無い世界)

認知症の母を介護して辛いことの1つに、物を片付ける位置が、毎回違うと言うことです。母の大事な財布、着ている服、見た雑誌・本、使った掃除道具など、置いた場所が変わり探すことが多く、そのたびに時間をとられます。

母がする戸締まりなども、あるときは完璧なのに、あるときは一部が抜けることがあるので、母がしたことで大事なことは、もう一度確認しています。

また、寝るときは電灯を”常夜灯”にするのに、あるときは明るいから”消灯”にしてねと言ったり、何日か後には”常夜灯”にしてねと言われます。認知症の母には、規則性がありません。

認知症になると、物を置く位置が毎回違ったり、することが毎回違うので、これをフォローするのに時間をとられます。

■④是非を問わない世界(言動を否定・非難しない世界)

認知症の世界では、いくら相手が間違ったことを言っても、それを否定、非難できません。

あるとき、母がディサービスに行きたくなくなり、「私に無断ででディサービスを契約した」と私を責めたことがありました。実際には、事前に母の了解は得ていましたが、それを言っても無駄でした。

自分がなおした財布が無くなったとき、私に「いたずらして、財布を隠したね!」と、母に責められました。こんなときに、「何故、私が隠すの! 無くしたのはダレよ!」と言っても無駄です。一緒に探すか、機嫌が直るまで話を聞くことしかありません。

このように、認知症の母は、自分の責任であるにも関わらず、いろんな場面で介護している私を責めます。しかし、認知症の母を責めることができません。

また、母の言動を否定したり非難したら、介護の状況は悪化するので、母が全面的に間違っていても「是非を問わず」、母には何も言わず、必要であれば、別な機会に、できるだけ優しく説明するようにしました。