花を作っていると”待つ”ことの大切さが分かってきます。球根から育てるチューリップ、ユリは、植えてから花が咲くまで、半年も待たないといけません。
私は”人を待つ”ことはできませんが、”花を待つ”ことはできるようです。何が違うのだろうと考えたら、花には、”咲いてくれる、いや、きっと咲く”という期待を持っているから待てると思います。
そうすると、私は人に期待を持っていないから待てないということになります。もともと、私は性格的に人に期待せず、そして、人を待つことができません。私の嫁は逆です、人に期待して、人を待つことができます。
でも、考えてみたら、「人に期待しない」ということは失礼にあたりますね。ほとんどの場合、相手の期待に沿うように人は動いていると思います。ゴミ収集の人達、宅急便の人達、病院、コンビニ、スーパー、そして会社でも、全ての人が与えられた仕事をきちんとこなし、相手の期待に沿うように行動しています。私のように「人に期待しない」ということは現実的ではないようです。
空海さんの言葉に「人を待ち、時を待つ」という素敵な言葉があります。
「人を待つ」
人はそれぞれ自分のペースで動いています。私のように「待てない人」の場合、自分のペースで相手が動くことを強要しているようです。人にはそれぞれペースがあり、それで動いていること、そして、期待に沿うように行動していると考え、人に期待する。そして「人を待つ」。とても大事な気がします。
「時を待つ」
これは、何もせず、単に待つということではないように思います。
・花を(見守り手入れをしながら)咲くのを待つ
・人を(見守りサポートしながら)成長する、改善するのを待つ
「鳥が卵を自分の体で暖めて雛がかえるのを待つ」というのが、空海さんの「時を待つ」のイメージかもしれません。あくまでも成長するのは相手、余計なおせっかいをせず、変なアドバイスもせず、ただ、見守り、問題があればサポートする。子どもをそだてるのも、この「時を待つ」姿勢のほうが、親がアレコレ言うより、いいかもしれませんね。
「時を待つ」、これは、いろんな意味を含んでいる気がします。
実は、「時を待つ」でぜひ紹介したい言葉がありました。旧約聖書の中の「コヘレトの言葉」という箇所の言葉です。
旧約聖書「コヘレトの言葉」から
『何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
・・・
求める時、失う時
保つ時、放つ時』
もう一つ旧約聖書「コヘレトの言葉」から
『わたしは知った
人間にとって最も幸福なのは
喜び楽しんで一生を送ることだ、と』
素敵な言葉ですよね。この「コヘレトの言葉」の箇所は、昔から問題になっている箇所で、旧約聖書の他の箇所とはかなりイメージが違います。でも、NHKの番組で知って、とてもファンになりました。「何事にも時がある」 心にしみる素敵な言葉です。