シニアからの学び

介護・主夫業・花作り, etc. シニアから学びの日々が再び

チョッピリ年をとったら 「二人の時は一人のように 一人の時は二人のように」

どこかでみつけた次の言葉、60を過ぎてから、いつも頭にあります。とても考えさせられる言葉です。

 

「二人の時は一人のように 一人の時は二人のように」

 

最初、この言葉を見たとき、あー、年をとったら、夫婦の片側がいつ亡くなってもいいように考えときなさい という言葉と受取りました。でも、なかなか含みのある言葉です。

 

「二人の時は一人のように」これは、本当にそう思います。私は、年をとっても嫁に家事全般を任せ、自分は家事はほとんどせず、パソコン三昧。

その私が、認知症の母を介護して変わりました。嫁は自分の両親の介護があるため、私しか母を介護する人はおらず、いきなり家事全般を担当。覚えました、家事全般。できないと言えない状況、もう必死です。これは覚えます。

この時から、私は一人で家事全般をすることになり、料理、洗濯、掃除、なんでもできるようになりました(ただ、適当ですが)。

その結果、嫁が倒れても、なんとか生活できるようになりましたし、嫁が介護状態になって、なんとかできます。それが、「二人の時は一人のように」考え、準備しなさいという意味かもしれません。

 

そして、「一人の時は二人のように」、これはなかなか含蓄のある言葉です。よく、伴侶を亡くした男性は、生きる力をなくし、奥さんが亡くなって、しばらくすると亡くなることもあるようです。また、旦那さんを亡くした奥さんも寂しくなりますね。

そんな時に励ましてくれるのが、「一人の時は二人のように」。チョット格好よく言うと、心の中に伴侶がいて励ましてくれる、だから大丈夫! という意味だと解釈しています。

 

この、「一人の時は二人のように」は、伴侶だけで無く、家族、親の場合も当てはまりますね。私は、父が亡くなってから、父の存在は心の中で大きくなっていきました。ときどき、父と心の中で会話することもあります。

 

「二人の時は一人のように 一人の時は二人のように」

 

チョッピリ年をとったら一人でも生活できるように、そして、いろんな人の死を間近にしても、心の中に、その人はいるよと、励ましてくれる言葉が、この言葉だと思います。