シニアからの学び

介護・主夫業・花作り, etc. シニアから学びの日々が再び

認知症の世界は、失敗を許す(失敗が許される)世界

認知症の母を介護して気づいたのは、認知症の世界は、これまでの考え方や価値観が通用しない世界であるということでした。

最初は介護に戸惑っていた私も、認知症の世界は、これまでの世界と違うことが分かると、介護が楽になり、認知症の母も安心する介護ができるような気がしています。

なお、認知症の世界が、ふだんの私たちの世界と違う原因は、認知症の代表的な中核症状から来ると思います。

認知症の中核症状]

①記憶障害・・・・数分前のことを忘れてしまう

見当識障害・・・時間や場所、人が分からない

③実行機能障害・・ものごとの手順が分からない(料理、片づけ、衣類の管理などができない)

 

以下に、自宅介護の経験から、私が感じた認知症の世界をまとめてみました。

 

認知症の世界]

①失敗を許す世界(失敗をOKにする世界)

②時間をかける世界(非効率な世界)

③一貫性の無い世界(規則性が無い世界)

④是非を問わない世界(相手の言動を否定・非難しない世界)

 

なお、下記の本では、認知症の世界を「虚構の世界」と名付け、この世界が認容できるようになれば、認知症の人も、それを介護する人も、もっと心安らかに生きていけるはずだと言っています。認知症の母を介護してきて、この意味が分かるようになりました。

 

認知症とは何か (岩波新書)

認知症とは何か (岩波新書)

 

 『なんと言ってもこの世は、できる人、金を稼げる人、常識や規範に沿って生きている人だけが尊重される世界である。

(中略)

もし、この世が、その片隅にであっても、世の価値観から離脱した「虚構の世界」をそっと認容できるようになれば、認知症を病む人たちも、彼らとともに生きている人たちも、もっと心安らかに生きていけるはずである。」(上記の「認知症とは何か」P193~194の引用)

 

■失敗を許す世界(失敗をOKにする世界)

今まで私が生きてきた世界では、失敗すると「なんで、こんなことをするの!」と怒られます。また、今までできたことができないと「この前はできたのに、なんでできないの!」叱られます。

今まで私が生活していた世界は、当然やるべきことができないと、とにかく、失敗は悪であり、許されないものでした。

しかし、認知症になると、記憶が無くなるので、よく失敗します。私の母の場合は、財布の保管場所を自分で変えて「財布が無くなった」と騒いだり、冬なのに夏のパジャマを着たり、家電製品の操作を間違えたりします。

 認知症の人の失敗は、中核症状の記憶障害、見当識障害、実行機能障害によるもので、悪意のあるものではなく、起こるべきして起こった、避けられないものです。そのため、認知症の人が失敗しても、許してあげたいものになります。

 

■時間をかける世界(非効率な世界)

今まで私が生きてきた世界では、何事も効率よくやることが当然で、時間をかけるとよく怒られます。

しかし、認知症になると、一つ一つの作業に時間がかかるようになります。私の母は、食事の後片付けなどに、それまでの2倍以上の時間がかかるようになりました。夕食の後片付けには1時間もかかってます(母には認知症の進行を抑えるため、できる家事は任せています)。

認知症の母の行動を急がせると混乱し、被害妄想が発生し、時には暴言を吐くことがあります。

 

■一貫性の無い世界(規則性が無い世界)

認知症の母を介護して辛いことの1つに、物を片付ける位置が、毎回違うと言うことです。母の大事な財布、着ている服、見た雑誌・本、使った掃除道具など、置いた場所が変わり探すことが多く、そのたびに時間をとられます。

母がする戸締まりなども、あるときは完璧なのに、あるときは一部が抜けることがあるので、母がしたことで大事なことは、もう一度確認しています。

また、寝るときは電灯を”常夜灯”にするのに、あるときは明るいから”消灯”にしてねと言ったり、じゃー寝るときは”消灯”がいいかと思えば、何日か後には”常夜灯”にしてねと言われます。認知症の母には、規則性がありません。

認知症になると、物を置く位置が毎回違ったり、することが毎回違うので、これをフォローするのに時間をとられます。

 

■是非を問わない世界(相手の言動を否定・非難しない世界)

今まで私が生きてきた世界では、相手が間違っていた場合は、相手の言動を否定したり、非難します。

しかし、認知症の世界では、いくら相手が間違ったことを言っても、それを否定、非難できません。

あるとき、母がディサービスに行きたくなくなり、「私に無断ででディサービスを契約した」と私を責めたことがありました。実際には、事前に母の了解は得ていましたが、それを言っても無駄でした。

また、認知症の人が財布が無くなり、介護している人に「あんたが盗ったやろ」と言うことがあります。

母も自分がなおした財布が無くなったとき、私に「いたずらして、財布を隠したね!」と責められました。こんなときに、「何故、私が隠すの! 無くしたのはダレよ!」と言っても無駄です。一緒に探すか、機嫌が直るまで話を聞くことしかありません。

このように、認知症の母は、自分の責任であるにも関わらず、いろんな場面で介護している私を責めますが、これは認知症の記憶障害などが原因です。決して、認知症の母を責めることができません(しかし、介護初期の頃は、よく母を責めていました)。

そのため、あることで、私にわずかでも非があれば母に謝ることにしました。

また、母の言動を否定したり非難したら、介護の状況は悪化するので、母が全面的に間違っていても「是非を問わず」、「まあいいか」精神で、母には何も言わず、必要であれば、別な機会に、できるだけ優しく説明するようにしました。