シニアからの学び

介護・主夫業・花作り, etc. シニアから学びの日々が再び

”手抜き” ”諦める” ことが自分を助ける場合も

家事でも勉強でも、することが勇気がいるように感じますが、私の様に、潔癖症、完璧主義の人間には、”手抜きする”勇気が、とても大事なような気がします。

私は何事も、決まった手順でやらないと気が済まないタイプ、そして、一度やると決めたら、何があっても(ご飯抜きでも)やるタイプ。これって変ですよね。

「辛いんだったらやらければいいじゃん」、まことにその通りなんです。でも、自称「完璧主義」の私には、それができない。面倒な人間なんですね。

例えば、お風呂掃除、一人で住んでいるのだから、毎日、徹底的に掃除をしなくても、たまにはサーとお湯を流すだけでいいはず。でも、毎日、決まった手順で20分もかけて掃除をします。

あるとき、夕食の準備、洗濯干し、お風呂掃除などが重なり少々パニックに。こんなときは、お風呂掃除を手抜きすればいいのに、頭の中の悪魔君が、

「おやおや、手抜きしようとしているね。お風呂掃除しないと汚いよ! そんなお風呂に入って大丈夫かい」

いつも私を悩ませるのは、この悪魔君。しかし、この時ばかりは、悪魔君に負けてはいけないと、お湯を流すだけの簡単なお風呂掃除。その間も、悪魔君のささやきが・・・でも、悪魔君は10分すれば消えます。

話しは、またまた長くなりますが、潔癖症関係の強迫神経症については、私はかなり本を読みました。そして、私が見つけた一番いい方法が、

「気になっても10分間我慢する」

ことでした。ただし、この10分間はなかなか辛いですね。でも我慢、我慢。

例えば、どうしてもやりたいことがあるとき、もしそれが、いろんな事情で出来ない場合、それでもやろうとします。これは、かなり自分にダメージを与えますね。こんな時は、「諦める」ことが大事ですね。

この「諦める」は仏教からきています。仏教では「あきらかにみる」(諦観)という意味。

 自分の行いをみて、自分が正しいかどうかを明らかにみつめる

ということ。つまり、自分がやろうとしているのは正しいかどうかですね。

もし、自分を悩まし苦痛を与えるのであれば、それを「諦める」。「あきらめた!」というと一見、後ろ向きな発想にみえますが、自分を助けるという意味では前向きです。

そんなこと、「怠け者の言うことじゃ!」、そういう風にも見えますが、なかなか物事は単純ではありません。

例えば、年末といえば、一年の疲れが出るとき、そんな時、無理していろんなことをしてしまいます。大掃除、片付け、年賀状、無理してやります、何がなんでもやろうとします。それで、体調を壊してしまう。

それか、”手抜きする”勇気で、「あーもう、これは諦めた!」で止めて、ゆっくり休養する。どちらがいいかですね。なかなか難しいです。

でも、一番大事なのは「(自分の)体と心の健康」、これが一番優先しますね。これを守るためには、どっちがいいか判断したらいいと思います。

例えば、”手抜きする”勇気を発揮するんじゃーと言って、汚い部屋の掃除をしない、これはダメ! 健康を悪化させます。

ここで嫁の登場「勝手な理屈つけて、結局、怠け者のいう言葉じゃ!」。そうかもしれない・・・反論できません。