これから、時々、フランスの哲学者アランが書いた世界的に有名な「幸福論」から、私がとても好きな言葉を紹介します。参考にしたのは以下の本です。
この本は何度も読み返しています、読むたびにフムフムと感心させられますね。哲学者ながらアランは、日常生活において役立つことを、この本の中で紹介しています。幸福論の本を読むならば、まずは、このアランの「幸福論」を勧めます。また、かなりの訳本がでており、いくつか読みましたが、やはり、神谷幹夫訳 ワイド版岩波文庫 がベストだと思います、とても読みやすい日本語になっています。
さて、アラン「幸福論」紹介の第1回目は次の言葉。
『しあわせになる秘訣の一つは、自分の気分に無関心になるということ』
(「アラン 幸福論」 神谷幹夫訳 ワイド版岩波文庫 ”66 ストア主義”から)
私の場合、行動がとても気分に左右されます。なんとなく気分が乗らない、なんとなく調子が悪い、なんか違うような気がする・・・などなど。
でも考えてみると変ですよね。気分に理由はないのに、気分に従ってしまう。なぜだろう?
人を見るときも、私は「この人、なんか気に食わない」(理由は無し!)、「この人、妙に変」(変な点は無いのに)、「この人、どうも私には合わない」(これも理由無し)と考えて、その人から遠ざかってしまいます。
逆に、「この人、話しが合いそう」(理由無し)、「この人、好みが同じかも」(そんなこと分からないのに)と考え、はっきりとした理由がないのに、近づいてしまう。
もしかしたら、この気分での人の判断、ダマされやすい性格かも?
アランは幸福論の中で「自分の気分に無関心であれ」と言っているのは、本当にそうだと思います。「何となく・・・」「・・・のような気がする」理由のない、単なる自分への脅しのような感覚、古代の人は、いろんな自然の脅威の中で生きてきたから、このような気分での判断が残っているかもしれませんね。でも、現代は、古代の人が経験する自然の脅威はかなり減っています。もう気分に左右される時代ではないですね。
気分に関して、アランの他の鋭い指摘を、93章「誓わねばならない」から紹介。
『気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。』
『憂鬱な思考はすべて、自分をだます魂胆だと思ってさしつかえない』
(「アラン 幸福論」 神谷幹夫訳 ワイド版岩波文庫 ”93 誓わねばならない”から)
なお、気分に負けない方法もアランは指摘しています。いくら自分の気分に負けないぞと思っても無駄だと言っています。それより、体を動かすことが大事だと教えています。確かにそうですね。何故、こんな気分になるんだろうといくら考えても良い考えは浮かばないですね。それより動くこと、行動することが一番良いかもしれません。
『気分に逆らうのは判断力のなすべき仕事ではない。判断力ではどうにもならない。そうではなく、姿勢を変えて、適当な運動でも与えてみることが必要なのだ。』