シニアからの学び

介護・主夫業・花作り, etc. シニアから学びの日々が再び

100% 正しい忠告は止めよう 「こころの処方箋」(河合隼雄著)から 

娘達や嫁に、私が言っていたことのほとんどが「100%正しいこと」。河合先生は「こころの処方箋」で、そんなアドバイスは役に立たないよと教えてくれました。

そうなんですよね。そんな当たり前のことを言われても、相手は当然知っているはずです。そんな単純なことも理解せず、私は「・・・しないとね」「・・・したほうがいいよ」と家族に言ってました。

つまり、相手がどう考えるか、相手にとって本当に役立つのか、そんなことはお構いなし、自分が言いたいことを単に家族に言うだけ。

 

道元禅師の『正法眼蔵随聞記』に次の言葉があります。

『学道の人、言(こと)ばを発せんとする時は、三度(みたび)顧(かえり)みて

 自利利他の為に利あるべくんば是(これ)を云(いう)べし。』

つまり三度考えてみて、自分にも相手にも得るものがあれば、言ってもいいよという意味ですね。今までの私は、思いついたらパッと言ってしまう、まさに思いつき人間。やはり、思いつきで言うのはダメですね。思いつきで言ってしまい、しばらくしてから後悔することもたびたび、道元禅師の言葉、耳にいたいです。

 

河合先生の厳しい指摘です。

『もちろん、正しいことを言ってはいけないなどということはない。しかし、それはまず「役に立たないことくらいは知っておくべきである。たとえば、野球のコーチが打席にはいる選手に「ヒットを打て」と言えば、これは 100% 正しいことだが、まず役に立つ忠告ではない。』

(「こころの処方箋」 河合隼雄著 新潮社)

「ヒットを打て」という忠告のように、誰が考えても、いつでも正しい忠告は、抽象的すぎて、伝わらないですね。それでも私は言ってしまう。何故なんだろう? 自分をアッピールしたい? あなたは偉いと言ってほしい? つまり、自分本位なんですね、相手の視点にたっていない。

 

『ひょっとすると失敗するかも知れぬ。しかし、この際はこれだという決意をもってするから、忠告も生きてくる。己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、 100% 正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その 100% 正しい忠告を、まず自分自身に適用してみるとよい。』

人へのアドバイス、考えたら恐ろしいですよね。相手に誤解を与えることや、間違ったことを言ってしまう場合も。私が家族に言ったアドバイス、後から考えると、どうも間違っていたのではと思うことがあります。このようなアドバイスの場合、どうも思いつきで言ったのが多いような気がします。道元禅師の言われるように、三度考えるどころか、一度も考えていないという恐ろしい結果です。

 

忠告する場合、まずは相手の話を焦らずじっくり聴く、そして反論せず、アドバイスも考えない(既にこれをするだけで、相手は自分で解決策を見つける場合も)。

しばらくして状況が分かってきたら、アドバイスを考え、三度、それが的を得ているかじっくり考える。それで、ようやくアドバイスなお、大事な問題の場合は、しばらくアドバイスを控えることも良いかもしれません。