シニアからの学び

介護・主夫業・花作り, etc. シニアから学びの日々が再び

親を介護して思うこと 私には介護は生き方を見つめ直す良い機会に

介護はそれぞれの家庭で事情が異なるので、今回、書いたことは、あくまでも、”私の家庭”の場合です。まあ、こんな介護をしている家族もいるんだなと思ってくれたら幸いです。

以前、毎月、福岡から郷里に行き、父の介護をサポートしていましたが、父が亡くなり母一人になったこともあり、私と嫁の3人の親を介護するため、5年前に福岡から郷里の離島に引越しました。そこから、家族協力しての親の介護がスタート。

田舎に引越し後、1年後に私の母が認知症に、嫁のお母さんもしばらくして認知症になりました。私は自分の実家で認知症の母の介護、嫁は嫁の実家でお父さんと二人で認知症のお母さんの介護。

嫁は無理をする方なので、介護の途中で精神的にダウンし、私が嫁の方の実家をサポート。そして、認知症になった嫁のお母さんをグループホームに入所。その後、半年ぐらいで嫁が精神的に回復。ここで一息でした。

私は実家で認知症の母を介護していましたが、母はなんとか料理はご飯と味噌汁ができたので、おかずは私担当。洗濯・掃除などの家事、それと花作りは母と一緒にやりました。

まあ、なんとか過していましたが、母に大腸ガンが見つかり、それからは検査が何回か続き、手術、入院。この時は嫁がずいぶん助けてくれました。本当に大感謝。無事に手術後の入院が終わり、母は自宅に戻ってきました。ここで二息。

その後、なんとか過していましたが、母の認知症が進み、私とのケンカも絶えず、もう共倒れの寸前。そのときに予約していたグループホームから”部屋が空きましたけど入れますか?”という天の声。何日か悩んで、今の自宅介護は母にも悪いと考え、母を入所させることを決意。そして、嫁のサポートを得て、バタバタと入所の準備、母を説得して、無事にグループホームに入所。ここで三息。

今も、私の母と嫁のお母さんはグループホーム、嫁のお父さんは実家で一人住まいで嫁がサポート。ここまで、一息、二息、三息と、山場がありました。そのたびに、私と嫁は連携プレー、娘達の優しいサポートがあり、なんとか、ここまできたと思います。

でも、グループホームに入所したからといって介護は終っていません。今は、施設のスタッフの人達と連携し、母の状況の変化、足りないものの購入(最近、手押し車購入)、季節の衣替えなど、二人の母をサポートしています。

そして、親を介護して、家族の暖かさ、連携プレーの大事さを痛感し、改めて、家族とは何か、親とは何かを考えることができました、もうすぐ70歳になる私には貴重な経験になりました。

特に、認知症の介護では、世間一般に流れている情報では得られない、とても大事なものを得ることができました。認知症の世界は、これまでの世界とは別な世界でした。これが分かっただけでも充分です。

介護、まだまだ、これからも問題は多々発生すると思いますが、「覚悟と平常心」で対応していきたいと考えています。